バタン


部屋に入るなり、カインはエリックをベッドに押し倒し激しくキスをし、愛撫をした。
お互いの息があがりはじめた頃、カインが何の温度も感じさせない声でエリックに話し掛けた。

「エリック、俺のことが知りたいと言ったね」

「はい。・・・・・けど、ご主人様が嫌なら・・・」

エリックは元々敬語を使い慣れていない。所属していた軍は荒くれ者の集まりのようなものだったし、育ちもよくはない。
だからこういうとき、主人に対して使う口調、かつ自分の意思を伝えられる言葉を探し、少し口ごもってしまうのだ。

けれどカインはその時少し冷静さを欠いていた。少しばかりの焦りと多大な不安が身のうちを蝕んでいく。
故に、はっきりしないエリックの態度にイライラが募った。

「エリック。それを知ってどうするつもり?ヴィラのセキュリティは万全だ。分かってると思うけど、脱走も情報の公開もできやしない。なのに知ってどうする?そんなことで得する事なんて何もないさ」

「そんな・・!!俺はもうご主人様の犬です!!脱走なんてしません!!!」

心外だった。エリックは自分で言ったとおり脱走しようなどと、露ほども思っていない。

「俺はあなたのそばにいたいと言いました!奴隷解放だって望まなかったし、部下と共にいくことだって選びませんでした!!そういったのに、ご主人様はどうして意地悪をいうんですか?!」

必死になってまくしたてる。これで嫌われたり、あまつさえ捨てられるような事があればもう生きていけないという確信があった。薬殺されるということではない。カインに嫌われる事は自分の心が死ぬ事だ、という確信が。
それほどまでに必要だった。それほどに愛しているのだ。

「あぁ、そういっていたな。聞いたよ、嬉しかった。けれど、それは何のため?」

「え・・・・・?」

「今更こんなこといったって調子がいいのは分かってる。散々いじめて、いいように扱って、言うこと聞かせたから今ココに「俺のエリック」は存在する。
けれどね」

カインはそこまでいうと、一度冷静になるため息を吸い唇を舐めてから、また何の温度も感じさせない声で続けた。



「俺が「快楽をくれるもの」だから必要とされるのだとしたら、気に入らない」


調子がいい、そんなことはわかってる。いじめて、気持ちよくして。虐げて、優しくして。その飴と鞭の使い分けでココまできた。エリックを自分のものにできた。
けれど快楽を与えるだけならバイブにだって、そこらの棒にだって出来る。そんな無機物と一緒なのか。とカインは考え、同時に舌打ちしたくなった。
今自分が感情的になっているのを笑えるほど実感したからだ。
あの日が近い。だからだ。そんなことも分かっていた。けれど止まらない。
戸惑い、瞳を振るわせるエリックを見て可愛い、愛しいと思った。だから、声にならない声で「ごめんね」と呟いた。


カインは語りだした。合間合間に荒いキスをはさみながら。
決してエリックが忘れないように、あるいは決してエリックには聞こえないように。





彼は望まれない子どもだった。
母親は娼婦、父親はクリーンなイメージを大切にする政治家。
ノイローゼになった母親と一切自分を省みない父親の間で、精神的に虐待されながら育った。



ある日連れていかれた先は、人身売買のオークションだった。

「オー・・・ク・・・・?」

切れ切れの息をして、厚い胸板を弾ませながら、朦朧とした意識の中でもエリックは言葉を紡いた。
その様子を目を細めて見ながら、カインは今度は優しくキスをした。もう満足に息も出来ていないはずなのに、それでもカインからのキスが嬉しいのかエリックは「ん・・・」とねだるような声とともに、唇を少し突き出した。

「そう。オークション。俺はね、一度はお前のような奴隷だったんだよ」

そう囁くと、エリックのダークブラウンの髪を優しくなでつけ、カインはまた遠くの何かを睨みつけた。エリックには見えないけれど、カインには確かに見えているのだろう。カインが憎んでやまない日々が。



父親に売り飛ばされ、父親と同じくらいの年の親父に買われ表向きは養子、実質は奴隷として過ごす日々。
そのときの屈辱と絶望と怒り。それらがカインを駆り立てた。寂しさによって穿たれた穴を直視させないかのように。



それから後にカインとなる少年は順調に信頼と愛情を勝ち取り、知識を蓄え主を越えるほどの英知を身に付け密かに財を築く。
コネをつくるために主の客として訪れたものたちも抱き込み、その館の主を殺害。事件は彼を愛したものたちがもみ消した。

「愛したといっても、所詮はおもちゃだ。」

カインは暗く冷たい瞳で呟く。

「ちょっと人間みたいに鳴いて、ちょっと人間みたいに暖かくて、ちょっと人間みたいに見える。奴らからすれば奴隷の見方なんてそんなものだ」

「・・・・お、れは・・・・・・・?」

不安に駆られたエリックが尋ねると、カインはきょとんとした顔をした。ついで破顔一笑。馬鹿な子だ、と親が呆れるようなそんな温かい笑顔だった。

「馬鹿だな、エリック。俺はそんな奴らを嫌悪している。なのにそんな思いを抱くはずがないだろう?」

カインの顔が近づいてきて、エリックはまた唇にキスしてくれるのかと思ったが、その唇が落とされたのは、額だった。

「お前を、お前として愛しているよ。俺の魂に誓っていえる」

だから心配するな。と告げた。泣きたくなるほど優しい声で。



自由を奪い取ったカインだったが、これまでに受けた心の傷は計り知れず悶々とした日々を過ごすばかり。
一人でいる孤独が嫌いだが、肉欲による繋がりは望まない。純粋な愛情を欲したが、それを与えてくれる動物はすぐに死んでしまいますますカインを孤独にした。




そして少しの時が過ぎ、彼の財産と地位がゆるぎない物になった頃遠く離れた地に「ヴィラ・カプリ」なる場所があることを知る。
その場所の建設意図に眉を顰めたが、動物のように純粋な愛情を注いでくれてしかも長生きで言葉も通じる。そんな奴隷の存在に心惹かれ、ヴィラ・カプリに訪れる。





「結局は俺も同じなのかもしれない」

心底失望したような様子でカインがもらした。

「初めは全てに嫌悪したさ。そこここにいる「仔犬」たちは在りし日の俺。それを引いている恥知らずどもは奴ら。
一人残らず殺してやろうかと思った」

けど、と目を伏せカインはエリックの首筋に顔をうずめた。エリックはいつになく弱っている様子のご主人様を慰めたくて
、背中をさすったり顔をすりよせたりした。



      できなかった



おかげでよく聞こえた。カインの思いがそのままつまったような声が。



カインの本質は愛情を求めるだけの人なのだ。
基本的に痛めつけたり苦しめたりといったやり方は好かない。
ただ愛され方が分からないのでヴィラ・カプリのやり方にのっとっているだけなのだ。

だから、カインは自分の名前を決める時に「カイン」という名前をつけた。
神話の中で神の愛を欲し、実の弟「アベル」を殺めた男「カイン」。人類初の殺人者。身内殺し。
けれどそうまでして愛を請われた神は、カインを愛するどころか罰を与えた。「何もせぬ」という罰を。
愛してもらうことも、命を奪う事で構ってもらう事もできなかった哀れなカイン。
カインはその姿に自分を重ねるのと同時に、今まで生きてきてあんな仕打ちを受けたのに、助けてくれなかった神への反抗も兼ねてカインと名乗る事にしたのだ。



けれどそんなカインも、たどたどしいながらも奴隷をつくり、エリックやロビンといった無償の愛情を注いでくれるようになった存在との行為は心が大いに満たされた。
ただ今まで培われてきた人間への嫌悪感や、不信感、絶望は癒せず今もカインの心の穴となっている。

だから時々何もかもがその穴に飲み込まれるのだ。
一切が煩わしくなり、一切が信じられなくなる。愛しているのに、愛されているのを確かに感じるのに、なのに信じられない。そんな矛盾と自己嫌悪がカインを蝕むのを止められないのだ。




「そ、んな・・・・」

話し終わった後、絶句するエリックを見てカインは泣きたくなった。
あぁもうダメだ。彼の中の「理想の俺」は壊れてしまったと思ったのだ。

何かいおうとして口を開くエリックに、強引にキスをしてカインは告げた。

「あの日、お前が連勝10回をかけた試合の前夜、俺はお前との別れを覚悟したよ。
お前は俺から去っていき、奴隷の身分から開放され誰にも膝を折らずに生きていく。そう思った。奴隷の気持ちも屈辱もよくわかる。好きであんなことされるやつなんて相当なマゾだけだから」

そこまで一気に言ってしまうと、カインはスッと猛禽類を思わせる目でエリックをひたと見据えた。

「でも、お前は軍に戻る事より、奴隷から開放される事より俺を選んだ。だからもう引かない」

とても低い声で、強い力で、鋭い目で拘束されているというのに、エリックは歓喜に打ち震えた。
ご主人様がこんなにも求めてくださっている!!
エリックはそれだけで泣いてしまいそうだった。

けれどカインはそれを拒絶や絶望といった涙と誤解したらしく、一瞬酷く哀しげになると煽情的な笑みを浮かべた。

「お前は以前男である事にとても執着してたな。いいよ。今日はお前が男役をすることを許してやる」

今までエリックが見てきたどの女よりも艶やかな笑みを浮かべると、カインはエリックの手を取りぐいと起し、代わりに自分がベッドに寝そべりエリックがカインを押し倒すような形になった。

「さぁ・・・俺を好きにしていいぞ。エリック・・・・」

「ご主人様・・・・・」

試されている。軍人として生きてきたエリックの勘がそう告げていた。
事実、カインの目はさりげなくエリックの動向を気にしていた。視線の一つ、指先一つの違和感も見逃さないほど。

ここでエリックが少しでもカインを嫌悪したような仕草を見せたなら、それを敏感に感じ取りエリックはもう二度とカインに会う事はできず、カインは一層の孤独と失望に落とされさらに彼を頑なにする。

そうとはわかっていても、エリックは眩暈がしそうだった。
誰より愛しているご主人様が今自分の下にいて、自分に体をゆだねてくれている。自分を必要としてくれている。


忘れていた雄の本能がむくむくと膨らむのを感じた。


気が付けばカインは目を閉じ、エリックはその唇にむしゃぶりつくようにキスしていた。







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